東日本大震災の活動記録

発災当日の当団の動き

3月11日、宮城県三陸沖でマグニチュード9.0というわが国の観測史上最大の地震が発生しました。山岳赤十字奉仕団は発災当日、2名の団員が神奈川県支部に急行し、日赤神奈川のDMAT、日赤医療チーム派遣の準備に協力しました。
 
支部に17時30分団員1名が到着、みなと赤十字病院医療チーム派遣のため、神奈川県支部地下の資材倉庫で、派遣する9名の職員の食料や寝袋、医療用品など短時間でセットし、支部派遣車両に積み込みを行いました。発災直後の出発のため、支部の地下倉庫にある限られた資材をかき集め、何とか9名が3日間の活動が出来る用意をしました。

19時から4階の支部災害対策本部で、他の都県支部医療チームが、閉鎖された高速道路をどのルートで宮城県や福島県に行けるか、日赤業務用無線を当奉仕団員が傍受し、秦野赤十字病院と連絡を取り、深夜現場に急行している医療チームに的確なルート案内を行いました。

発災直後の混乱した状況で、首都高速道路の閉鎖、関越道所沢インターチェンジの陥没による緊急車両も通行不可というルートの選択肢がない中、先行する武蔵野赤十字病院DMATや埼玉県支部医療チームの無線から、外郭環状線から東北道は緊急車両のみ通行可能という情報を入手。秦野日赤病院のDMATに伝達し、被災地の石巻日赤病院に急行する医療チームのサポートを行い、朝5時、支部を撤収しました。